ペンテコステ礼拝
新約聖書、使徒言行録2章1節~11節
はじめに
みなさま、ペンテコステ、おめでとうございます。 ペンテコステは、イースターから50日目、イエスの弟子たちに聖霊が注がれた出来事を記念する日です。ギリシャ語で「五十番目」を意味し、元々はユダヤ教の収穫の祭りであり、十戒が授けられたことも記念していました。キリスト教では教会の始まりとなる聖霊の出来事を祝います。
この日、弟子たちはエルサレムで祈っていました。そこに突然、激しい風のような音がし、「炎のような舌」が現れて、皆が聖霊に満たされました。それは「神の言葉を語る力」が与えられたことのしるしです。
1. 天からの風と火
聖霊は、特別な人だけに注がれたのではなく、「一同すべての人」に与えられました。弟子たちは、老若男女問わず、神の霊によって満たされました。これは現代の私たちにも起こることであり、聖霊は「力」と「愛」と「慎み深さ」を与えてくれます(2テモテ1:7)。私たちもまた、聖霊によって新しい歩みを始めることができます。
2. ひとりひとりの言葉で
聖霊に満たされた弟子たちは、世界のさまざまな言葉で神の偉大な業を語り出しました。これは、ユダヤの巡礼者たちが自分の国の言葉で神の言葉を聞いたということです。神の言葉は一つですが、語られるときはその人の言葉で伝えられます。
現代に生きる私たちも、職場や家庭、地域社会で、自分の言葉で神の言葉を伝える使命を担っています。聖霊は、そのための力を与えてくれます。
3. バベルの塔を超えて
この出来事は、旧約の「バベルの塔」の話とは対照的です。バベルでは人間の高慢によって言葉が混乱させられましたが、ペンテコステでは、神が多様な言語を通して一つの真理を語りました。
教会も、多様性の中に一致を生きる共同体です。パウロが語るように、体には多くの部分がありながら一つであるように、教会もさまざまな賜物を持つ人々が聖霊によって一つにされる場なのです(1コリント12:12)。
4. わたしたちが担う使命
当時も今も、神の言葉に心を動かされる人もいれば、冷ややかに見る人もいます。しかし、福音は語り続けられなければなりません。
聖霊は「その日限り」の出来事ではなく、今も生きて働いています。私たちは「ひび割れた器」のような存在かもしれませんが(2コリント4:7)、そこに神は宝を注いでくださるのです。
私たちにも語るべき相手がいます。家族、友人、職場の人、通りすがりの誰かかもしれません。恐れずに語るとき、聖霊が「語るべき言葉」を与えてくださいます。
まとめ
ペンテコステは、「神のことばがすべての人に届いた日」です。それは過去の出来事ではなく、今も私たちを通して続いています。
どこから来て、どこへ行くか分からない風のように、聖霊は私たち一人ひとりに吹いています。「神のことばはすべての人に届く」という信仰に立ち、「語る人」「届ける人」としての歩みを、新たに始めましょう。
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