2024.11.08 13:002024年9月22日 礼拝説教「人の時間、神の時間」 コヘレトの言葉3章1~8節 今日は「人の時間、神の時間」というテーマで、「コヘレトの言葉」3章1~8節のお話をします。この聖書箇所は「時の詩」と呼ばれ、「何事にも時があり、天の下の出来事には、すべて定められた時がある」と始まります。これは私たちの人生がさまざまな「時」の連続であり、それぞれの「時」には深い意味があることを教えてくれます。 人生の様々な「時」が、一組のペアとして取り上げられています。「生まれる時」と「死ぬ時」。これは神の計画の一部であり、人間の力ではどうにもなりません。「植える時」と「植えたものを抜く時」。これは自然界のサイクルや人間の営み表します。さらに「泣く時」と「笑う時」あるいは「嘆く時」と「踊る時」は、人生...
2024.11.02 13:152024年8月11日 礼拝説教「神さまの家族」 マタイによる福音書12章46~50節 今日は、「神さまの家族」についてのお話です。 イエスさまは、ユダヤ人の大家族にお育ちになりました。当時のユダヤ人社会は、モーセの十戒を始めとする何百何千もの律法が人々を苦しめていました。裕福な人々は律法を守ることができましたが、貧しい人々は安息日でも働かざるをえませんでした。律法を守らないと、死刑にされることさえありました。 イエスさまはそのような状況下で、「神さまを愛すること」と「隣人を愛すること」の二つが最も大切であり、他の律法は時と場合によって守らなくてもよいと教えました。この教えはユダヤ人指導者の批判を招き、最終的には反逆者としてローマ帝国に引き渡されることになりました。 ある日、母マリア...
2024.08.23 11:202024年7月21日 礼拝「和解させる任務」 コリントの信徒への手紙(二)5章17節~6章2節 みなさまよくご存知の物語で、アダムとエバのお話があります。このカップルはせっかく幸せに暮らしていたのに、食べてはいけない果物を食べてしまって神さまに叱られました。盗み食いですね。私もよくやりました。母がこっそり貯めていた小銭を、盗んだこともあります。親というのは有難いもので、どんなに悪いことをしても、しまいには赦してくれます。神さまも同じで、どんな罪人でも愛してくださって、最後には赦して下さいます。 神さまとの関係修復を、キリスト教では「和解」と言います。普通は、悪いことをしたほうが和解金を支払います。ところが、神さまと人間との和解は、神さまのほうが支払います。神さまの和解金はイエス...
2024.08.16 11:202024年6月9日 礼拝「地の塩、世の光」マタイ福音書5章13~16節 今日の聖書には「地の塩」という言葉があります。私が子どものときは、塩といえば日本専売公社の塩で、20円くらいでした。きょうの聖書の塩はそういう工場で作った塩と違って、イスラエルの死海という湖にごろごろ転がっている塩です。 塩と言っても塩分は1割もなくて、ほとんどがマグネシウムとかカルシウムとかのミネラルで、お風呂に入れると肌がすべすべして、新約聖書の昔から料理はもちろん、肌に塗ったり傷に塗ったり、いろんなことに役に立ちました。 同じように、あなたがたも私の弟子なのだから、世の中の役に立つようになさい。「あなたがたは地の塩である。塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや何の役にも立...
2024.05.19 01:302024年5月19日 ペンテコステ礼拝 「聖霊がくだる」 使徒言行録2章1~13節〈50日目の祭り〉 ペンテコステという言葉は、ギリシャ語で50日目という意味です。キリストの復活から数えて50日目に天から聖霊がくだり、弟子たちの目が開いて伝道をはじめたことを祝います。日本では結婚50年目に金婚式をお祝いしますが、イエス様が復活して50日目のお祝いがペンテコステです。 「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると」(1節) この「五旬祭(50日目の祭り)」という翻訳が、もとのギリシャ語の聖書ではペンテコステとなっています。実は、この日に聖霊がくだったのにはわけがあります。使徒言行録1章の8節で、イエスさまが約束をなさったからです。まもなくあなたがたの上に聖霊がくだるから、その日を待...
2021.09.26 00:009月26日(日)聖霊降臨節第19主日「ぶどう園のたとえ」 マタイによる福音書20章1~16節 今日は、「ぶどう園のたとえ」と題して、マタイ20章1~16節のみことばに学びましょう、1 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。2 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。3 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、4 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。5 それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。6 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで...
2021.09.19 00:009月19日(日)聖霊降臨節第18主日「永遠の命」 マタイによる福音書19章13~26、30節 今日は、「永遠の命」と題して、マタイ19章13~26、30節のみことばに学びましょう。13 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。14 しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」15 そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。16 さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」17 イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひと...
2021.09.12 00:009月12日(日)聖霊降臨節第17主日「憐みと赦し」 マタイによる福音書18章21~35節 今日は、「憐みと赦し」と題して、マタイ18章21~35節のみことばに学びましょう。21 そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」22 イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。23 そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。24 決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。25 しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。26 ...
2021.09.05 00:009月5日(日)聖霊降臨節第16主日「迷い出た一匹の羊」 マタイによる福音書18章10~14節 今日は、「迷い出た一匹の羊」と題して、マタイ18章10~14節のみことばに学びましょう、10 「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。12 あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。13 はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。14 そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」 救い主イエ...
2021.08.29 00:008月29日(日)聖霊降臨節第15主日「天の国のたとえ」 マタイによる福音書13章44~52節 今日は、「天の国のたとえ」と題して、マタイ13章44~52節のみことばに学びましょう、44 「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。45 また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。46 高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。47 また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。48 網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。49 世の終わりに...
2021.08.22 00:008月22日(日)聖霊降臨節第14主日『毒麦のたとえ』と『からし種、パン種のたとえ』 マタイによる福音書13章24~33節 今日は、「『毒麦のたとえ』と『からし種、パン種のたとえ』」と題して、マタイ13章24~33節のみことばに学び、信仰の糧を与えられたいと思います。24 イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。25 人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。26 芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。27 僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』28 主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集...
2021.08.15 00:008月15日(日)聖霊降臨節第13主日「汚れた霊」 マタイによる福音書12章43~50節 今日は、「汚れた霊」と題して、マタイ12章43~50節のみことばに学び、信仰の糧を与えられたいと思います。43 「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。44 それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。45 そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。」46 イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。47 そこで、...