2025.06.11 09:352025年6月8日 すべての人に届く 良い知らせペンテコステ礼拝新約聖書、使徒言行録2章1節~11節はじめにみなさま、ペンテコステ、おめでとうございます。 ペンテコステは、イースターから50日目、イエスの弟子たちに聖霊が注がれた出来事を記念する日です。ギリシャ語で「五十番目」を意味し、元々はユダヤ教の収穫の祭りであり、十戒が授けられたことも記念していました。キリスト教では教会の始まりとなる聖霊の出来事を祝います。 この日、弟子たちはエルサレムで祈っていました。そこに突然、激しい風のような音がし、「炎のような舌」が現れて、皆が聖霊に満たされました。それは「神の言葉を語る力」が与えられたことのしるしです。 1. 天からの風と火聖霊は、特別な人だけに注がれたの...
2025.05.31 08:172025年5月18日 私を愛していますか復活節第5主日 新約聖書 ヨハネによる福音書21章15節~19節はじめに復活節も終わりに近づいてきました。この季節は、イエス・キリストの復活を喜びつつ、その出来事が私たちの人生をどう変えるのかを、静かに見つめ直すときです。今日の聖書箇所では、復活したイエスが弟子ペトロに語りかける場面が描かれています――「私を、愛していますか」。それは、失敗をした者への優しい問いかけであり、赦しと回復の始まりでもあります。1.炭火の記憶ペトロには「炭火」にまつわる苦い記憶がありました。イエスが裁判にかけられていた夜、炭火にあたりながら、彼は三度「イエスを知らない」と否定してしまったのです。その出来事は、彼の心に深い傷を残しました。ところが復活したイエスは、再び...
2025.04.26 10:002025年4月20日 名前を呼んで招く神イースター礼拝 新約聖書、ヨハネによる福音書20章1節~18節はじめに 皆さま、イースターおめでとうございます。私は朝5時に起き、「週の初めの日、まだ暗いうちに…」という聖書の言葉を思い出しました。今日は、復活の主イエスが、私たち一人ひとりの名前を呼んでくださるということについてお話します。名前を呼ばれると、人は自然と応えたくなります。子どもの頃も、手術の後も、「大久保さん」と呼ばれて、私は反応しました。名前を呼ばれることには、深い意味があります。今日の福音書では、マグダラのマリアが「復活の主」に名前を呼ばれる場面が描かれています。1.暗闇の中で出会う“空の墓”「まだ暗いうちに」、マグダラのマリアは墓へ向かいました。安息日が終わった日曜の朝、弟子たちが...
2025.04.26 09:572025年3月30日 わたしも行きます受難節第4主日礼拝 旧約聖書、ルツ記1章1節~9節はじめに きょうは受難節第4主日です。イエス・キリストの十字架と愛の犠牲を覚える時です。今日の聖書は、夫を亡くしたルツが、義理の母ナオミと共にベツレヘムへ行く物語。その決断がダビデ王、そしてイエス・キリストへとつながる系図の一部になります。「神に従う決意が、やがて希望の実を結ぶ」ことを、ご一緒に学びたいと思います。1.迷いと選択の時 ― 人は何に従うのか 飢饉で移住したナオミは、夫と息子を失い、義理の娘ルツに「実家に帰りなさい」と言います。しかしルツは命の危険を承知の上で、義理の母ナオミに従います。それは「愛情」の話ではなく、生死をかけた選択でした。現代でも、私たちは「主に従うか、他のものに従うか」が問...
2025.03.09 09:112025年2月2日 水がぶどう酒になる公現後第4主日礼拝 ヨハネによる福音書2章1節~11節はじめに 受験シーズンになりました。私は受験の当日にインフルエンザにかかった経験があります。人生には想定外のことが起きます。今日の聖書は、結婚式の最中にぶどう酒が尽きるアクシデントが起きる「カナの婚礼の奇跡」です。ユダヤ人にとって結婚は神の祝福であり、ぶどう酒はその象徴です。詩編104編15節に「ぶどう酒は人の心を喜ばせる」とありますが、祝宴での不足は「祝福の喪失」を意味します。1. 婚礼の席での問題「カナ」はナザレ近くの町で、イエスとマリアはその町の結婚式に招かれました。ユダヤの婚礼は一週間続く盛大な祝いで、ぶどう酒が尽きるのは大失態。花嫁花婿の契約が完成せず、家族や共同体の恥ともなります。とはい...
2025.02.01 01:002025年1月26日 チャンスはもう一度公現後第2主日礼拝 旧約聖書ヨナ書2章1節~3章1節はじめに この説教は旧約聖書のヨナ書を通して、「チャンスはもう一度」というメッセージを語ります。ヨナ書には、「大きな魚に飲み込まれる」というおとぎ話めいた要素がありますが、その背景には北イスラエル王国が残酷で強力なアッシリアに滅ぼされかねないという、深刻な歴史的現実がありました。そんな中で、神は預言者ヨナに「敵国ニネベへ行って神の言葉を語れ」と命じます。ところが、ヨナは「冗談じゃない」とばかりに逃げ出したのです。これは「やるべきことから逃げたい」という、現代社会でも見られる心理に通じます。1.「神の呼びかけとヨナの逃避」 圧倒的な力を誇るアッシリアを嫌悪していたヨナは、神の命令を拒否し、海を渡って逃げ...
2025.01.05 11:422024年12月22日 クリスマス礼拝「羊飼いと天使」ルカによる福音書2章8~20節はじめに このメッセージは、救い主イエス・キリストのご降誕が持つ意味を考えたものです。社会の周縁にいた羊飼いたちの姿や彼らが置かれた厳しい状況の中、現代にも通じる「暗闇」と「光」の対比を通して、クリスマスが私たちの日常にどのような希望をもたらすのかについて、ご一緒に考えます。1. 「闇の只中で立ちすくむ」「羊飼い」と聞くと、私たちは「アルプスの少女、ハイジ」のようなのどかなイメージを抱くかもしれません。しかし、1世紀のパレスチナ社会では、羊飼いは貧しく、宗教行事への参加もままならない上に、税金や兵役の問題で周縁に追いやられていました。とりわけユダヤ教の掟を十分に守れない彼らは「けがれた」存在とされ、社会的信用を失っていまし...
2024.12.20 00:002024年11月24日 喜びなさいフィリピの信徒への手紙4章4~9節1. 主においていつも喜びなさい 今日の聖書箇所は、パウロがフィリピの教会に宛てた手紙から、「主において、常に、喜びなさい」という有名なみ言葉について考えていきます。 まず、「キリスト・イエス」という言葉に注目しましょう。「キリスト」とは、古代イスラエルの儀式で「油を注がれた者」を意味し、神から特別な使命を与えられた人を指します。イエス様が受けた使命は、十字架によって罪人を救うことでした。 しかし、当時のローマ帝国では皇帝が神のように崇められており、「救い主はイエス様だ」と宣言することは、ローマへの反逆と見做される危険がありました。日本でも、徳川時代の「キリシタン禁止令」や、太平洋戦争時の天皇崇拝など、類似の状況があり...
2024.11.23 01:002024年10月20日 礼拝説教詩編23「憩いの水のほとりで」 本日の聖書箇所である詩編23編は、多くの人々に愛され、慰めを与えてきた詩です。この詩は「本当の安心」とは何かを語り、それが神様との深い関係から生まれることを示しています。神様が羊飼いのように私たちを守ってくださるという確信が、私たちに揺るぎない安心感をもたらします。1. 主は羊飼い 第1節「主は羊飼い。わたしには何も欠けることがない」は、神様が365日、年中無休で私たちを見守り、必要なものを与えてくださることを表しています。羊は羊飼いなしでは生きられず、羊飼いは命を懸けて羊を守ります。イエス様も「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」とおっしゃり、私たちを命がけで守ってくださることを約束されています。2...
2024.11.22 13:002024年10月13日 礼拝説教「神の愛 人間の愛」 ヨハネの手紙一 3章11~18節 きょうは、「神の愛、人間の愛」というテーマでお話いたします。 人間の愛は不完全です。私たちは誰かを愛していても、いつかは別れのときが来ますし、時にはその愛が憎しみに変わることさえあります。一方で、神さまの愛は永遠であり、決して変わることがありません。私たちが人生の中で愛と向き合い、愛が試されるとき、神さまの愛に立ち返ることで新たな力を得ることができます。 きょうの聖書には、旧約聖書「カインとアベル」の物語が紹介されています。アダムとエバの息子であるカインとアベルは、それぞれ神さまに献げ物をしましたが、神さまは弟アベルの献げ物だけを喜ばれました。これに怒りを覚えたカインは弟を憎み、ついには殺してし...
2024.11.08 13:002024年9月22日 礼拝説教「人の時間、神の時間」 コヘレトの言葉3章1~8節 今日は「人の時間、神の時間」というテーマで、「コヘレトの言葉」3章1~8節のお話をします。この聖書箇所は「時の詩」と呼ばれ、「何事にも時があり、天の下の出来事には、すべて定められた時がある」と始まります。これは私たちの人生がさまざまな「時」の連続であり、それぞれの「時」には深い意味があることを教えてくれます。 人生の様々な「時」が、一組のペアとして取り上げられています。「生まれる時」と「死ぬ時」。これは神の計画の一部であり、人間の力ではどうにもなりません。「植える時」と「植えたものを抜く時」。これは自然界のサイクルや人間の営み表します。さらに「泣く時」と「笑う時」あるいは「嘆く時」と「踊る時」は、人生...
2024.11.02 13:152024年8月11日 礼拝説教「神さまの家族」 マタイによる福音書12章46~50節 今日は、「神さまの家族」についてのお話です。 イエスさまは、ユダヤ人の大家族にお育ちになりました。当時のユダヤ人社会は、モーセの十戒を始めとする何百何千もの律法が人々を苦しめていました。裕福な人々は律法を守ることができましたが、貧しい人々は安息日でも働かざるをえませんでした。律法を守らないと、死刑にされることさえありました。 イエスさまはそのような状況下で、「神さまを愛すること」と「隣人を愛すること」の二つが最も大切であり、他の律法は時と場合によって守らなくてもよいと教えました。この教えはユダヤ人指導者の批判を招き、最終的には反逆者としてローマ帝国に引き渡されることになりました。 ある日、母マリア...