2025.02.01 01:002025年1月26日「チャンスはもう一度」公現後第2主日礼拝 旧約聖書ヨナ書2章1節~3章1節はじめに この説教は旧約聖書のヨナ書を通して、「チャンスはもう一度」というメッセージを語ります。ヨナ書には、「大きな魚に飲み込まれる」というおとぎ話めいた要素がありますが、その背景には北イスラエル王国が残酷で強力なアッシリアに滅ぼされかねないという、深刻な歴史的現実がありました。そんな中で、神は預言者ヨナに「敵国ニネベへ行って神の言葉を語れ」と命じます。ところが、ヨナは「冗談じゃない」とばかりに逃げ出したのです。これは「やるべきことから逃げたい」という、現代社会でも見られる心理に通じます。1.「神の呼びかけとヨナの逃避」 圧倒的な力を誇るアッシリアを嫌悪していたヨナは、神の命令を拒否し、海を渡って逃げ...
2025.01.05 11:422024年12月22日 クリスマス礼拝「羊飼いと天使」ルカによる福音書2章8~20節はじめに このメッセージは、救い主イエス・キリストのご降誕が持つ意味を考えたものです。社会の周縁にいた羊飼いたちの姿や彼らが置かれた厳しい状況の中、現代にも通じる「暗闇」と「光」の対比を通して、クリスマスが私たちの日常にどのような希望をもたらすのかについて、ご一緒に考えます。1. 「闇の只中で立ちすくむ」「羊飼い」と聞くと、私たちは「アルプスの少女、ハイジ」のようなのどかなイメージを抱くかもしれません。しかし、1世紀のパレスチナ社会では、羊飼いは貧しく、宗教行事への参加もままならない上に、税金や兵役の問題で周縁に追いやられていました。とりわけユダヤ教の掟を十分に守れない彼らは「けがれた」存在とされ、社会的信用を失っていまし...
2024.12.20 00:002024年11月24日「喜びなさい」フィリピの信徒への手紙4章4~9節1. 主においていつも喜びなさい 今日の聖書箇所は、パウロがフィリピの教会に宛てた手紙から、「主において、常に、喜びなさい」という有名なみ言葉について考えていきます。 まず、「キリスト・イエス」という言葉に注目しましょう。「キリスト」とは、古代イスラエルの儀式で「油を注がれた者」を意味し、神から特別な使命を与えられた人を指します。イエス様が受けた使命は、十字架によって罪人を救うことでした。 しかし、当時のローマ帝国では皇帝が神のように崇められており、「救い主はイエス様だ」と宣言することは、ローマへの反逆と見做される危険がありました。日本でも、徳川時代の「キリシタン禁止令」や、太平洋戦争時の天皇崇拝など、類似の状況があり...
2024.11.23 01:002024年10月20日 礼拝説教詩編23「憩いの水のほとりで」 本日の聖書箇所である詩編23編は、多くの人々に愛され、慰めを与えてきた詩です。この詩は「本当の安心」とは何かを語り、それが神様との深い関係から生まれることを示しています。神様が羊飼いのように私たちを守ってくださるという確信が、私たちに揺るぎない安心感をもたらします。1. 主は羊飼い 第1節「主は羊飼い。わたしには何も欠けることがない」は、神様が365日、年中無休で私たちを見守り、必要なものを与えてくださることを表しています。羊は羊飼いなしでは生きられず、羊飼いは命を懸けて羊を守ります。イエス様も「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」とおっしゃり、私たちを命がけで守ってくださることを約束されています。2...
2024.11.22 13:002024年10月13日 礼拝説教「神の愛 人間の愛」 ヨハネの手紙一 3章11~18節 きょうは、「神の愛、人間の愛」というテーマでお話いたします。 人間の愛は不完全です。私たちは誰かを愛していても、いつかは別れのときが来ますし、時にはその愛が憎しみに変わることさえあります。一方で、神さまの愛は永遠であり、決して変わることがありません。私たちが人生の中で愛と向き合い、愛が試されるとき、神さまの愛に立ち返ることで新たな力を得ることができます。 きょうの聖書には、旧約聖書「カインとアベル」の物語が紹介されています。アダムとエバの息子であるカインとアベルは、それぞれ神さまに献げ物をしましたが、神さまは弟アベルの献げ物だけを喜ばれました。これに怒りを覚えたカインは弟を憎み、ついには殺してし...
2024.11.08 13:002024年9月22日 礼拝説教「人の時間、神の時間」 コヘレトの言葉3章1~8節 今日は「人の時間、神の時間」というテーマで、「コヘレトの言葉」3章1~8節のお話をします。この聖書箇所は「時の詩」と呼ばれ、「何事にも時があり、天の下の出来事には、すべて定められた時がある」と始まります。これは私たちの人生がさまざまな「時」の連続であり、それぞれの「時」には深い意味があることを教えてくれます。 人生の様々な「時」が、一組のペアとして取り上げられています。「生まれる時」と「死ぬ時」。これは神の計画の一部であり、人間の力ではどうにもなりません。「植える時」と「植えたものを抜く時」。これは自然界のサイクルや人間の営み表します。さらに「泣く時」と「笑う時」あるいは「嘆く時」と「踊る時」は、人生...
2024.11.02 13:152024年8月11日 礼拝説教「神さまの家族」 マタイによる福音書12章46~50節 今日は、「神さまの家族」についてのお話です。 イエスさまは、ユダヤ人の大家族にお育ちになりました。当時のユダヤ人社会は、モーセの十戒を始めとする何百何千もの律法が人々を苦しめていました。裕福な人々は律法を守ることができましたが、貧しい人々は安息日でも働かざるをえませんでした。律法を守らないと、死刑にされることさえありました。 イエスさまはそのような状況下で、「神さまを愛すること」と「隣人を愛すること」の二つが最も大切であり、他の律法は時と場合によって守らなくてもよいと教えました。この教えはユダヤ人指導者の批判を招き、最終的には反逆者としてローマ帝国に引き渡されることになりました。 ある日、母マリア...
2024.08.23 11:202024年7月21日 礼拝「和解させる任務」 コリントの信徒への手紙(二)5章17節~6章2節 みなさまよくご存知の物語で、アダムとエバのお話があります。このカップルはせっかく幸せに暮らしていたのに、食べてはいけない果物を食べてしまって神さまに叱られました。盗み食いですね。私もよくやりました。母がこっそり貯めていた小銭を、盗んだこともあります。親というのは有難いもので、どんなに悪いことをしても、しまいには赦してくれます。神さまも同じで、どんな罪人でも愛してくださって、最後には赦して下さいます。 神さまとの関係修復を、キリスト教では「和解」と言います。普通は、悪いことをしたほうが和解金を支払います。ところが、神さまと人間との和解は、神さまのほうが支払います。神さまの和解金はイエス...
2024.08.16 11:202024年6月9日 礼拝「地の塩、世の光」マタイ福音書5章13~16節 今日の聖書には「地の塩」という言葉があります。私が子どものときは、塩といえば日本専売公社の塩で、20円くらいでした。きょうの聖書の塩はそういう工場で作った塩と違って、イスラエルの死海という湖にごろごろ転がっている塩です。 塩と言っても塩分は1割もなくて、ほとんどがマグネシウムとかカルシウムとかのミネラルで、お風呂に入れると肌がすべすべして、新約聖書の昔から料理はもちろん、肌に塗ったり傷に塗ったり、いろんなことに役に立ちました。 同じように、あなたがたも私の弟子なのだから、世の中の役に立つようになさい。「あなたがたは地の塩である。塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや何の役にも立...
2024.05.19 01:302024年5月19日 ペンテコステ礼拝 「聖霊がくだる」 使徒言行録2章1~13節〈50日目の祭り〉 ペンテコステという言葉は、ギリシャ語で50日目という意味です。キリストの復活から数えて50日目に天から聖霊がくだり、弟子たちの目が開いて伝道をはじめたことを祝います。日本では結婚50年目に金婚式をお祝いしますが、イエス様が復活して50日目のお祝いがペンテコステです。 「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると」(1節) この「五旬祭(50日目の祭り)」という翻訳が、もとのギリシャ語の聖書ではペンテコステとなっています。実は、この日に聖霊がくだったのにはわけがあります。使徒言行録1章の8節で、イエスさまが約束をなさったからです。まもなくあなたがたの上に聖霊がくだるから、その日を待...
2021.09.26 00:009月26日(日)聖霊降臨節第19主日「ぶどう園のたとえ」 マタイによる福音書20章1~16節 今日は、「ぶどう園のたとえ」と題して、マタイ20章1~16節のみことばに学びましょう、1 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。2 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。3 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、4 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。5 それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。6 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで...
2021.09.19 00:009月19日(日)聖霊降臨節第18主日「永遠の命」 マタイによる福音書19章13~26、30節 今日は、「永遠の命」と題して、マタイ19章13~26、30節のみことばに学びましょう。13 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。14 しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」15 そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。16 さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」17 イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひと...