復活節第5主日 新約聖書 ヨハネによる福音書21章15節~19節
はじめに
復活節も終わりに近づいてきました。この季節は、イエス・キリストの復活を喜びつつ、その出来事が私たちの人生をどう変えるのかを、静かに見つめ直すときです。今日の聖書箇所では、復活したイエスが弟子ペトロに語りかける場面が描かれています――「私を、愛していますか」。それは、失敗をした者への優しい問いかけであり、赦しと回復の始まりでもあります。
1.炭火の記憶
ペトロには「炭火」にまつわる苦い記憶がありました。イエスが裁判にかけられていた夜、炭火にあたりながら、彼は三度「イエスを知らない」と否定してしまったのです。その出来事は、彼の心に深い傷を残しました。
ところが復活したイエスは、再び炭火を囲む朝の食卓を用意されました。同じ炭火、同じ温もり。そこでペトロにパンと焼き魚を差し出し、やさしく迎えられたのです。イエスはあえてその「記憶の場所」に戻らせ、ペトロの過去をなかったことにするのではなく、光を当てて癒そうとされました。
私たちの人生にも、忘れたい過去、痛みの記憶があります。イエスは、それらを無理に忘れさせようとはせず、炭火のそばで静かに向き合い、赦しと再出発の機会を与えてくださるのです。
2.三度の問い
炭火のそばで食事を終えた後、イエスはペトロに三度、「私を愛していますか」と尋ねます。それはかつてペトロが三度イエスを否定した、その数と重なります。ペトロは戸惑いながらも、三度とも「愛しています」と答えますが、二人の会話にはすれ違いもありました。
原文のギリシャ語を見ると、最初の二回、イエスは「神の無条件の愛」で愛しているかと尋ねましたが、ペトロは「人間的な愛」で答えます。三度目にはイエスがペトロに寄り添って問いかけるのです。
イエスは、私たちの限界をよく知っておられます。そして、「それでいいよ、今できるだけの愛で大丈夫」と言ってくださるのです。完璧な愛ではなくても、今の私が差し出せる精一杯の愛を、イエスは受け取ってくださいます。
3.羊を飼う使命
イエスはペトロに、「わたしの羊を飼いなさい」と命じます。それは、赦された者に託される、新たな使命でした。羊飼いの仕事は、常に羊に寄り添い、世話をし、ときに命がけで守る働きです。
「愛する」ということは、誰かのそばに立ち、支え、仕えること。華やかなものではなく、日々の小さな実践に現れるものです。使徒パウロも、「愛によって互いに仕えなさい」と語りました(ガラテヤ5:13)。
私たちもまた、小さな羊飼いとして、それぞれの場所で、家族や仲間、社会の中で仕えていくように招かれています。そこには、特別な資格や才能よりも、愛と誠実が求められています。
4.ついて来なさい
イエスは最後に、ペトロに「わたしに従いなさい」と語られました。それは、将来ペトロが殉教するという暗示でもありましたが、それ以上に、「あなたの人生全体をかけて、私のあとについて来なさい」という深い呼びかけです。
私たちの信仰生活も、いつも順調なわけではありません。ときに痛みや困難、犠牲も伴います。それでも主は、「あなたと共に歩む」と約束し、「今のあなたで十分」と寄り添ってくださいます。
まとめ
今日、イエスは私たちにも問われます――「私を、愛していますか」。過去の失敗や自信のなさを抱える人も、愛を語るには足りないと思う人も、主は炭火のそばに招いてくださいます。そして、赦しをもって迎え、「私の羊を飼いなさい」「わたしに従いなさい」と、人生の新たな一歩へと導いてくださいます。
大切なのは、完全な答えではなく、「あなたは何もかもご存じです。私があなたを愛していることも、あなたは知っておられます」と、ペトロが語ったような、誠実な思いです。
主に愛され、赦された私たちは、今週もそれぞれの場所で、小さな羊飼いとして、せいいっぱいの愛をもって歩んでいきましょう。
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