2025年3月30日 わたしも行きます

受難節第4主日礼拝 旧約聖書、ルツ記1章1節~9節

はじめに

 きょうは受難節第4主日です。イエス・キリストの十字架と愛の犠牲を覚える時です。今日の聖書は、夫を亡くしたルツが、義理の母ナオミと共にベツレヘムへ行く物語。その決断がダビデ王、そしてイエス・キリストへとつながる系図の一部になります。「神に従う決意が、やがて希望の実を結ぶ」ことを、ご一緒に学びたいと思います。

1.迷いと選択の時 ― 人は何に従うのか
 飢饉で移住したナオミは、夫と息子を失い、義理の娘ルツに「実家に帰りなさい」と言います。しかしルツは命の危険を承知の上で、義理の母ナオミに従います。それは「愛情」の話ではなく、生死をかけた選択でした。現代でも、私たちは「主に従うか、他のものに従うか」が問われています。主に従う道は、しばしば困難な道ですが、イエスは「自分の十字架を負って従いなさい」と呼びかけます(マタイ16:24)。

2.「あなたの神は私の神」― 信仰告白としての決意
 ルツの「あなたの神は私の神」の言葉は、信仰の決意そのもの。安全策ではなく、神を信じる生き方を選びました。私自身も、牧師になる学びのなかで貯金が尽きたとき、子どもたちの支えで歩みを続けることができました。神に従う道では、他者の支えや思いがけない助けが与えられます。

3.死を超えて離れない ― 主に従う者の忠実さ
 ルツの「死が私たちを分かつまで」は信仰の誓いであり、深い信頼の言葉です。それはまるで結婚のように、相手に委ねる覚悟が求められます。効率や損得が優先される現代にあって、死んでも離れない愛や信仰の絆は、いっそう尊いものです。パウロも「愛はすべてを忍び、すべてを信じ、すべてに耐える」(Ⅰコリ13:7)と述べています。

4.神の計画に用いられる ―小さな決意が未来を変える

ルツの「わたしも行きます」という一歩が、やがてダビデ王、そしてキリストへと続区」家系を生むことになります。神は、名もなき外国の未亡人の小さな選びを、救いの歴史に用いられました。私たちの小さな決断も神によって祝福され、大きな実を結ぶことがあります。

まとめ(結論)

「わたしも行きます」「あなたの神は私の神」――この言葉は、信仰の道を選ぶ覚悟を私たちに問います。目に見える損得ではなく、永遠に続く神に従いましょう。苦しみの先に、復活の主がおられます。今週も神と隣人を愛し、信仰の道を歩みましょう。

お祈り
 主よ、ルツの決意に見るように、私たちの小さな選びをも、あなたの御業に用いてください。受難節からイースターに向かうこの時、信仰と希望をもって歩めるように導いてください。天に召された吉野姉妹の魂が、あなたのもとで安らかでありますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

日本基督教団 板橋大山教会

日曜礼拝: 子どもと大人のための礼拝 10:30~ 173-0013 東京都板橋区氷川町47-3 電話:03-3964-4139