公現後第2主日礼拝 旧約聖書ヨナ書2章1節~3章1節
はじめに
この説教は旧約聖書のヨナ書を通して、「チャンスはもう一度」というメッセージを語ります。ヨナ書には、「大きな魚に飲み込まれる」というおとぎ話めいた要素がありますが、その背景には北イスラエル王国が残酷で強力なアッシリアに滅ぼされかねないという、深刻な歴史的現実がありました。そんな中で、神は預言者ヨナに「敵国ニネベへ行って神の言葉を語れ」と命じます。ところが、ヨナは「冗談じゃない」とばかりに逃げ出したのです。これは「やるべきことから逃げたい」という、現代社会でも見られる心理に通じます。
1.「神の呼びかけとヨナの逃避」
圧倒的な力を誇るアッシリアを嫌悪していたヨナは、神の命令を拒否し、海を渡って逃げようとしました。しかし神は嵐を起こしてヨナを追い詰め、結果、ヨナは大きな魚に飲み込まれます。詩編139篇が「どこに逃げても神から離れられない」と語るように、神の呼びかけは逃亡を許しません。
2.「苦難のどん底での悔い改めと救い」
魚の腹という暗闇で、ヨナはついに悔い改めます。イエスが「ヨナの三日三晩」をご自身の復活と結びつけたように、神は悔い改める者に新しい命を与えられます。ここで強調されるのは、苦難が実は「守り」であり、「方向転換」の機会だということです。私は十年間引きこもりを経験しながら自立を目指す女性の例が挙げて、彼女の努力が神の忍耐や愛を映し出していたことを語りました。
3.「新たなチャンスと神の忍耐」
神はヨナを陸地に戻し、再び同じ使命を与えます。会社だったら「使えないヤツだ」と見切りをつけられるような状況でも、神は諦めないのです。もう一度チャンスを与える神の愛と忍耐は、逃亡しようとする人間の弱さを大きく包み込みます。そこにこそ、「どん底から救う神」の力強いメッセージがあります。
4.「神の計画に従うことの意味」
ヨナは神の命じた通り大国アッシリアの町ニネベに行き、神の言葉を語りました。人々があっさり悔い改めると、ヨナは不満を抱きます。しかし神は「大いなる都を惜しむのは当然だ」と諭されました。ここに見えるのは、神が「イスラエルだけ」ではなく「すべての人」を救おうとされる普遍的な愛です。教会もこの愛を広く届けるために、狭い思いを越えて隣人を憐れむよう成長していく使命があります。「もう一度」のチャンスは私たちの教会にも訪れます。「世のための教会」を目指した初代大塩清之助牧師の志が思い出されます。
まとめ
ヨナが「魚の腹」という暗闇の中から再び使命へ戻されたように、私たちも逃げたい課題がある時こそ神に立ち返るチャンスです。神はどこまでも追いかけ、苦難の中から救い上げ、「もう一度やりなさい」と声をかけてくださいます。このメッセージは今を生きる私たちにも響き、「自分の狭い心を超えた普遍的な愛の計画」に参加するよう招かれています。神の愛は尽きることなく、再びチャンスを与えてくださるのです。
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