8月8日(日)聖霊降臨節第12主日

「蛇のように賢く、鳩のように素直に」 マタイによる福音書10章16~25節


 今日は、「蛇のように賢く、鳩のように素直に」と題して、マタイ10章16~25節のみことばに学び、信仰の糧を与えられたいと思います。

16 「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。17 人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。18 また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。19 引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。20 実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。21 兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。22 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。23 一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。24 弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。25 弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。」

「蛇のように賢く、鳩のように素直に」という聖句は、絵画や文学作品にも取り上げられるとても有名な句です。

創世記では、蛇がアダムとエバを誘惑する誘惑者として描かれています。そして、「主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。」(創3:1)と紹介されているように賢さの代表としても描かれています。

パレスチナには約30種もの蛇が棲息し大部分は無害だそうですが、マムシ類、コブラ類のように猛毒のものもいます。だからでしょうか、蛇は昔から嫌われ者の筆頭にあげられています。ヨハネの黙示録でも、蛇は極悪な存在として悪魔とかサタンとか呼ばれ、全世界を惑わすもののように扱われています。そのような蛇をたとえて、イエス様は「蛇のように賢く」と勧めているのはなぜでしょう。

獲物を狙う時の忍耐強さや間の取り方、危険に遭遇した時のすばやい身のかわし方など、蛇の生態や習性には賢さを象徴するようなものがあるのだと思います。イエス様は、荒野で過ごしているときなど、蛇の生態や習性が目に入り、知恵や賢さに興味を持たれたのかも知れませんね。

他方、鳩についてはどうでしょう。聖書に50回ほど言及があり、パレスチナには約7種類の鳩が棲息するそうです。聖書ではただ家鳩と山鳩とに分けて描かれています。鳩は帰巣性が古くから知られていますが、愚かで思慮がないとも言われたりしています。新約聖書では、マタイ3書16節に「イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。」とあるように神の霊、聖霊を象徴しています。また、いけにえの犠牲に用いられていることも記されています。ですから、図像としてよく十字架と鳩が一緒に描かれたりしています。一般的には、広く平和の象徴に用いられることは、皆さんもご存じのことでしょう。

 ところで、信仰者は、信仰によってものごとを見るようになるので、この世の価値観でしかものごとを見ない人たちとは、その時々において価値判断に違いが出てくると思います。そこに生じるズレに対して、信仰者には信仰にふさわしい賢さや素直さが求められます。時に蛇のように、時には鳩のように、信仰者に求められる知恵でもあるのです。

 キリスト教が迫害されていた時代、キリスト者は、暗号を使って墓所の洞穴(カタコンベ)で隠れて集会や礼拝をしました。魚のマークを暗号にしたのも賢さのひとつだと思います。

 トルコのカッパドキアには、近年、とても規模の大きな地下都市が発見されています。

 この地下都市は、キリスト教が伝わる以前に造られていたようですが、ある時期からアラブ人から逃れるキリスト教徒の避難所となっていったようです。

 この地下都市には、居住空間の他、調理場、ワイン醸造所、礼拝堂、階段から成る多層構造で、石臼や石の十字架、陶磁器といった遺物も見つかっています。詳しく調べるにはまだまだ研究が必要だとされているようですが、新鮮な空気が流れるように換気シャフトがあったことなど驚きです。きっとここでの生活では、水や火の確保や食料、医療まで、知恵を重ねに重ねて工夫したことでしょう。キリスト教徒にとっては、「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。」を地で行くことだったと言えるように思います。

 ところで、8月には、原爆記念日や終戦の日を覚えて、戦争の愚かさや悲惨さを思い起こす人たちも多いことだと思います。あの大戦時、わずかですが、非国民と言われてもキリスト者としての信仰を貫き、秘かに神の愛と平和のために労した人たちがいたことを憶えたいと思います。キリスト教の歴史の短い日本では、キリスト者としての行動には限界があったと思いますが、それだけに、彼らの信仰とその行動にはしっかりと学びたいと思います。今後、キリスト者には一層、知恵が求められ、賢さが求められていくと思います。

 今日、現代社会に生きるわたしたちキリスト者には、どのような知恵、どのような賢さ、どのような素直さが求められるのでしょう。知恵や知識は、学校の専売特許ということではありませんから、キリスト者や教会は、信仰の源から与えられる賢さや素直さを十分にしっかりといただかなければならないでしょう。イエス様の教えに沿った賢さや素直さは、きっとキリスト者の信仰を強め、勇気づけ、神様のみこころにかなって行動すること、つまり生きることにつながっていくと思います。そして、それは、神様から与えられる恵みとなっていくことでしょう。そういう意味では、「蛇のように賢く、鳩のように素直に」という今日のみことばをしっかりと自分のものにしていきたいですね。

日本基督教団 板橋大山教会

日曜礼拝:  子どものための礼拝 9:30~  大人のための礼拝 10:30~ 173-0013 東京都板橋区氷川町47-3 電話:03-3964-4139