6月13日(日)聖霊降臨節第4主日(子どもの日・花の日)

「地の塩、世の光」 マタイによる福音書 5章13~16節

 今日は、「地の塩、世の光」と題して、マタイ5章13~16節のみことばから学び、信仰の糧を与えられたいと思います。

13 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。14 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。15 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」

 今日の主の日、コロナ禍でなければ、教会では、「子どもの日(花の日)」を覚えて礼拝する教会があると思います。

 19世紀後半、アメリカでは、さまざまな教会で「子ども」を中心とする行事が行われるようになりました。この季節は、花の多い時期でもあり、「花」に関連した行事が行われ、「子どもの日」と「花の日」が結びついていきました。1866年ごろでしょうか、アメリカのメソジスト教会は6月の第2日曜日を「子どもの日」と定め、信者たちは教会に花を持ち寄って礼拝堂を飾り、礼拝後に子どもたちが、それらを花束にして病院や各種施設を訪問したようです。(『教会の祭と行事の祝い方』他より)

 時代を遡ること、18世紀のイギリス社会には、子どもたちが産業革命の犠牲になっている現実がありました。三歳から五歳ぐらいの子どもたちまでもが、織物工場などで使役され、無教育のまま放置され、貧困ゆえの家庭の崩壊とともに行き場を失っていた現実が多々見られたようです。心を痛めた人たちがはじめたのが慈善学校(チャリティー・スクール)です。それが、教会の日曜学校になっていったという経緯があります。近代初期の教会で、徐々に日曜学校が盛んになり、子どもは子どもとして配慮されるべきだと、教会も取り組んでいった歴史を学ぶことは大切だと思います。(『教会教育ハンドブック』より)

 それ以来、教会は、以前にも増して、子どもたちとともに教会の行事を行うことを大事にしてきたように思います。子どもたちへの配慮という点で、小さい頃から、ひとりひとりのかけがえのなさや個々人の人格の尊厳が教えられていくことは、聖書の真理にかなっていると思います。そもそも、イエス様が、「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(マルコ10:15)とおっしゃったのですから。

 現代社会にあって、わたしたち大人は、大人たちの都合や価値観で、子どもたちを犠牲にしていないだろうかと反省させられます。そして、教会として、子どもたちとともに今日のみことばについて一緒に考えたいと思います。

 今日の聖書の箇所では、イエス様は、あなたがたは、地の塩、世の光でありなさいと言われました。また、それは、人々が「あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」とお教えになりました。

 昔から、塩は食物の味付けに用いられただけではなく、その殺菌作用が、食物の腐敗を遅らせるために役立ち、雑菌類のつきやすいところやものを清めるためにもよく用いられていたことは、知られています。イエス様は、そのような塩に結び付けて「あなたがたは地の塩である。」と語られました。実に、このようなたとえは、人々に信仰者としての在り方や生き方のほか、この世に対する信仰者としての役割や責任をも自覚させるものであったと思います。

 イエス様は、この世に神の国の福音を伝え、ご自身みずからそのように生きられ、神様の真理、神様のみこころをお示しになりましたから、イエス様に従う弟子たちや信仰者たちも、当然、イエス様に倣おうとしたことでしょう。そして、それは、ちょうど塩のような効果や光のような効果を、この世にもたらすことになると、お教えになられたのだと思います。 

 子どもたちが、地の塩、世の光のようなあり方や生き方を、胸に秘めて、歩んでいくことができたら、どんなにすばらしいことかと思います。そもそも、塩は、その人自身への効果も発揮します。光もそうだと思います。わたしたち自身を浄化させ、わたしたち自身を照らし、わたしたち自身の在り方生き方をも明るく照らしていくと思います。

 わたしが子どもの頃、家にはまだテレビはなく、ラジオしかありませんでした。子どもなりに外での遊びに夢中になりましたが、夕方暗くなってから、家でラジオのサスペンス劇場などに聴き入って一喜一憂したことを思い出します。その頃聴いた『心のともしび』というカトリックのラジオ番組を今でも覚えています。「暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう」というフレーズは、今でも心に残っていますし、「心に愛がなければ、どんなに美しい言葉も相手の胸に響かない。」(第一コリント13章)という聖パウロの言葉も、新鮮に憶えています。

 子どものときの記憶が大人になっても消えずに残っていくのですから、イエス様の神の国の福音のみことばが、早い時期に耳に入ってきて、子どもの心を支えたり、導いたり、慰めたり、励ましていくものとなっていったら、どんなにいいことかと思います。

「あなたがたは地の塩である。」や「あなたがたは世の光である。」というみことばは、神様の子どもとして、子どもたちに知ってほしいみことばの一つです。

 そして、何よりも、わたしたち大人が、英雄的志向によってではなく、天の父があがめられるために、しっかりと耳を傾けたいみことばなのです。


日本基督教団 板橋大山教会

日曜礼拝:  子どものための礼拝 9:30~  大人のための礼拝 10:30~ 173-0013 東京都板橋区氷川町47-3 電話:03-3964-4139