5月16日(日)復活節第7主日

「天に上げられたイエス様」 ルカによる福音書24章44~53節

 今日は、「天に上げられたイエス様」と題して、ルカ24章44~53節のみことばから学び、そこから信仰の糧を与えられたいと思います。

44 イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」45 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、46 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。47 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、48 あなたがたはこれらのことの証人となる。49 わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」50 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。51 そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。52 彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、53 絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。

 今日の聖書の箇所には、イエス様が、「苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する」というご自身の身に起きた一つ一つの出来事についてお触れになりながら、これらのことは、モーセ律法にも、預言者の書にも、詩編にも記されていることであり、そこに記されていることが実現成就したのだと、お語りになられたことが記されています。

 このことは、旧約聖書全体で語られていたことが、イエス様において、実現成就したということをあらわしています。ですから、イエス様を理解する上で、旧約聖書にさかのぼって理解することが勧められていると思います。そして、旧約聖書全体に流れる神様の救済の歴史のなかにイエス様があらわれてくださったことをわたしたちに教えています。このことは、また、具体的なわたしたちの人生のなかにもあらわれてくださるお方であるということを教えていると思います。

 そのようなイエス様が、「高い所からの力に覆われる」という御父からの約束を送ってくださるとお示しになりました。50~51節には、イエス様は、ベタニアの近くで、天に上げられたと記されてありますが、たびたび訪れ、親しく食事までされたイエス様の友ラザロ、マルタ、マリアのベタニアであることから考えるとき、わたしたちは、これらの約束が、他でもないエルサレムという表舞台に立つ人々にではなく、まず、最初に、弟子たちに加えてベタニアの人々に向けられてなされたのだということに気づかされます。

 実に、「貧しい人々はさいわいである」(ルカ6:20)と言われたイエス様のおことばに通じるものを、ここに見ることができるように思います。

 今日の聖書の箇所からは、聖書の意味する「天」という理解が与えられると思います。イエス様は具体的なこの世にあらわれてくださり具体的なこの世の現実を生きてくださいました。わたしたちは、イエス様の十字架の死から、「この世」は神の国の福音そのものであるイエス様を十字架に掛けてしまうのだと教えられます。また、そのような罪深いこの世にあって、イエス様は貧しい者の友となり、病める者を癒し、虐げられて悲しむ者を慰められたのだとあらためて思います。ですから、信仰に導かれた者は、イエス様を通して、この世の悪と罪の深さを知るでしょうし、イエス様の死を通して「陰府」を知り、よみがえりの復活と「天に上げられた」というみことばを通して、父なる神様のもとにある「父の家」を知るでしょう。また、神様のもとにある「永遠の命」を知ると思います。

 そもそも、人生に誠実に向き合えば向き合うほど、わたしたちは、自分自身の存在にかかわるあらゆることに対して、問いが生じてくると思います。さまざまな問いは、与えられた生に誠実に向き合おうとすることから生じてくると思います。誠実に向き合いつつも、疲れ果てて不満のままに取り残されてしまうか、あるいは、自分自身を超越した真実に、自分を生かしてくれるような源泉に出会えるかという岐路に立たされてもいくと思います。

 そのようなわたしたちが、天に上げられたイエス様への信仰から、導きをいただき答えをいただいていくことができたら、何とさいわいなことでしょう。

 神の国の福音に生きるものとされることで、この世の不必要な囚われから解き放たれ、自己自身へのつまらない囚われから導き出されたら、何と喜ばしいことでしょう。

 悔い改めに導かれて、罪の赦しと救いに生きていいのだとされたら、何と素晴らしいことでしょう。

 人生の重荷を負って歩まなければならないこの世の只中を、それでも、神様の愛と恵みのインマヌエルを実感しながら歩むことができたら、何と嬉しいでしょう。

 挫折や虚しさを超えて永遠の命へとつながる明日への希望に生きる者とされていったら、何とさいわいなことでしょう。

 天に上げられたイエス様への信仰が、その人その人を生かしていくものでありますように。

日本基督教団 板橋大山教会

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