5月23日(日)聖霊降臨節第1主日(ペンテコステ)

「ペンテコステとイエス様」 

使徒言行録2章1~12節、マタイによる福音書12章14~21節

 今日は、「ペンテコステとイエス様」と題して、使徒言行録2章1~12節とマタイ12章14~21節のみことばから学び、信仰の糧を与えられたいと思います。

【使徒言行録2章1~11節】
1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

5 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、6 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。7 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。8 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。9 わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、10 フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、11 ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」

【マタイ12章14~21節】
14 ファリサイ派の人々は出て行き、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。15 イエスはそれを知って、そこを立ち去られた。大勢の群衆が従った。イエスは皆の病気をいやして、16 御自分のことを言いふらさないようにと戒められた。17 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。18 「見よ、わたしの選んだ僕。わたしの心に適った愛する者。この僕にわたしの霊を授ける。彼は異邦人に正義を知らせる。19 彼は争わず、叫ばず、/その声を聞く者は大通りにはいない。20 正義を勝利に導くまで、/彼は傷ついた葦を折らず、/くすぶる灯心を消さない。21 異邦人は彼の名に望みをかける。」

 今日は、世界中の教会、また、キリスト者が、聖霊降臨節(ペンテコステ)を覚えて祈りと賛美を捧げる主の日です。教会は、ペンテコステから始まったと言われています。わたしたちは、今日の聖書の箇所から、このペンテコステといわれる特別な出来事、聖霊降臨の出来事がいったいどのような出来事であったのかを知りましょう。

 この出来事は、イエス様が天に上げられたのち、共に集い祈っていた弟子たちを、外に向かって他者に語る、世界に向かって語る宣教者にしていく大きなきっかけになりました。この聖霊降臨の出来事を通して、イエス様とイエス様の説いた神の国の福音が、当時の世界に広まっていったのです。

 キリスト教の歴史を紐解くと、無欲で小鳥たちとおしゃべりしたとされる中世のアシジのフランチェスコのような人の生き方を生み出した信仰体験や、近代産業革命時代に貧しい者の友となろうとメソジスト運動を興しメソジスト教会を立ち上げていったジョン・ウエスレーのような人の信仰体験、あるいは、新大陸アメリカで生じたリヴァイヴァルと言われる信仰復興運動あるいは信仰覚醒運動のことなどが記されています。それらは、教会やキリスト者の信仰や生活のリフレッシュやリフォームを呼び起こしてきたものです。

 わたしたちは、聖霊降臨の出来事やその後のキリスト教の歴史を振り返ることで、教会やキリスト者には、信仰を覚醒するような体験や経験が、いつも望まれていることを知ることができるように思います。

「虚しさ」という言葉を知っていることと、「虚しさ」を経験していることとは、似てはいますが、同じでしょうか? やはり違うと思います。また、わたしたちが、信仰者としてよく生きようとするとき、神様に生かされるという体験や経験が必要になります。しかも、信仰には、内側からわいてくるエネルギーを必要とします。

 確かに、信仰を充実させる上で聖書の教えからの知識はとても役に立ちますが、同時に、聖書の教えを自分の肉とし血となしていくためには、へりくだって心を虚しくし、なにがしかを体験していくことや経験していくことは、大切なことなのです。

 ですから、聖霊降臨の出来事は、神様から与えられる恩寵として、イエス様から教えていただいた約束の成就として、今日のわたしたちにも、当てはめて受けとめていきたい出来事だと思います。

 ところで、今日の与えられている、マタイ12章14節以下、18~21節にも、心を留めましょう。ここには、宣教者とされていった弟子たちにとって、イエス様に倣う指針あるいは手引きとなるような内容が記されています。

18「見よ、わたしの選んだ僕。わたしの心に適った愛する者。この僕にわたしの霊を授ける。彼は異邦人に正義を知らせる。19彼は争わず、叫ばず、/その声を聞く者は大通りにはいない。20正義を勝利に導くまで、/彼は傷ついた葦を折らず、/くすぶる灯心を消さない。21異邦人は彼の名に望みをかける。」(12:18~21)

 これらのみことばは、イエス様ご自身についてふれられたみことばですから、当然のこととして、イエス様に倣いながら宣教者として歩む弟子たちのあり方や生き方につながるものを提供していったと思います。

・神様の僕として、神様からの霊をいただいて神様のみこころにかなうように生きるものとされていくこと、

・争わず叫ばず、神様の正義、神様のみこころが行われ実現されるために、灯をともし続け、イエス様と神の国の福音を語り続けること、

 これらは、今を生きるわたしたちにとっても、当てはめていきたい信仰の指針であり手引きだと思います。

 インマヌエル(神は我々とともにおられる)であるイエス様の導きをいただきつつ、聖霊の働きが、みなさんの上に豊かに注がれますようにとお祈りいたします。


日本基督教団 板橋大山教会

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