2025年12月21日 小さなものが高く上げられる

クリスマス礼拝

ルカによる福音書1章46–55節、詩編113編1–9節



はじめに

クリスマスおめでとうございます。私たちは今日、主イエス・キリストのご誕生を喜び、この礼拝をささげています。

クリスマスというと、街を彩るイルミネーションのような華やかなイメージを思い浮かべるかもしれません。しかし、聖書が伝える最初のクリスマスは、決して目立つ出来事ではありませんでした。そこには、力や富や名声とは無縁の、「小さなもの」があります。

今日の聖書に記されている「マリアの賛歌」は、「小さな者が高く上げられる」という神さまの御心を、静かに、しかし力強く語っています。それはマリア個人の体験を超えて、「神さまがどのような方であるか」を示す言葉です。


1.低いところに目を留められる神

ルカ福音書は、マリアの言葉を「賛歌(マグニフィカト)」として伝えています。「マグニフィカト」とは、「神をあがめる」という意味です。マリアはなぜ神をあがめたのでしょうか。それは、「身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださったから」でした。

マリアはまだ若い少女で、社会的な力も、発言権も持たない存在でした。しかし神さまは、その「取るに足りない」と思われる彼女に目を留められました。詩編113編が語るように、主は「弱い者を塵の中から起こし、乏しい者を芥の中から高く上げられる」方です。

この神さまのまなざしは、成果や強さを重んじる私たちの社会の価値観とは、正反対です。神さまは、目立つ者ではなく、低いところに置かれた者を見つめておられます。


2.小さな人の口から生まれた賛歌

マリアは偉大な学者でも、名声ある人物でもありません。しかし、彼女の口から生まれたこの賛歌は、二千年もの間、教会で歌い継がれてきました。

マリアは「私が成し遂げた」とは言いません。「力ある方が、わたしに偉大なことをなさった」と告白します。神さまは、名もない人の人生の中にこそ、ご自身の働きを現されます。パウロが語るように、神は弱い者を選ばれました。それは、人の誇りではなく、神の恵みが明らかになるためです。


3.神の逆転 ― 高ぶる者と低くされた者

マリアの賛歌には、厳しい言葉もあります。権力ある者は引き降ろされ、身分の低い者は高く上げられる。飢えた人は満たされ、富める者は空腹のまま帰される。これは神さまによる「逆転」です。

当時の社会では、力ある者が支配し、弱い者が苦しめられていました。マリアの言葉は、その現実の中で語られた、命がけの信仰告白でした。

しかし、世界は今も変わっていないように見えます。だからこそ、イエスさまの言葉が思い起こされます。「神の国は、あなたがたの間にある」。神の支配は、遠い未来ではなく、すでに「今、ここ」で始まっています。目立たない場所で、静かに、しかし確かに起こっているのです。


4.約束を忘れない神の憐れみ

マリアの賛歌は最後に、神さまの「憐れみ」を歌います。神は、アブラハムと交わした祝福の約束を忘れず、代々にわたって守り続けてこられました。その約束が、今、自分の身に実現しようとしている――それがマリアの信仰でした。

神の憐れみとは、すべてを一瞬で解決する力ではありません。「忘れ去られたままにはしない」という約束です。名前を呼ばれないような人を、神さまは名前で呼び、人生を覚えていてくださいます。


まとめ

マリアの賛歌が伝える「小さなものが高く上げられる」という言葉は、神さまのまなざしを示しています。神は、大きなものではなく小さなものを、成功した人ではなく声を上げられない人を見つめられます。

その神ご自身が、最も小さな存在としてこの世界に来てくださいました。飼い葉桶に眠る幼子イエス――それが、クリスマスの出来事です。

もし自分は取るに足りない存在だと感じることがあっても、神さまは決して見過ごされません。神の国は、すでに私たちの間に始まっています。小さなものが高く上げられる、その約束を示すために、イエスさまは生まれました。それこそが、私たちがクリスマスを心から喜ぶ理由です。

どうぞ良いクリスマスをお迎えください。今週も、神さまを愛し、隣人を愛して、共に歩んでまいりましょう。

板橋大山教会

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