5月2日(日) 復活節第5主日

「わたしは道であり、真理であり、命である」
ヨハネによる福音書14章1~14節

 今日は、「わたしは道であり、真理であり、命である」と題して、ヨハネ14章1~14節のみことばから学び、そこから信仰の糧を与えられたいと思います。

1 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。2 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。4 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」5 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。7 あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」8 フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、9 イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。10 12 はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。13 わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。14 わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」

 今日の聖書の箇所の冒頭には、「心を騒がせるな。」というみことばが、記してあります。先行き不透明な上に「死」さえ予感させられたら、誰でも心が穏やかでなくなるのがふつうです。イエス様は、そのような十字架の道行きを前にして、不安を感じていたと思われる弟子たちにむかって「神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」とおっしゃって「父の家」についてお話になられました。

 そのような今日の箇所から、わたしたちは、キリスト者にとっての「死生観」ともなるような指針が与えられるように思います。

 合理主義が徹底する社会では、生物の「死」は、生物としての存在と命の終わりを意味します。そして、その先は考えないようになっていくと思います。けれども、「死」で何もかもが終わってしまうような考え方に虚しさを感じる人もいると思います。

 聖書では、死者が葬られて行くところとして「陰府」が語られます。けれども、詩編などでは、「主よ、あなたはわたしの魂を陰府から引き上げ 墓穴に下るのを免れさせ わたしに命を得させてくださいました。」(詩30:4)と賛美し、「しかし、神はわたしの魂を贖い 陰府の手から取り上げてくださる。」(詩49:16)と賛美し、死者にとって「陰府」がすべてではないと教えています。

 たとえ、魂の不滅を信じていても、「陰府」が魂の終の棲家であってはどうでしょう。旧約聖書は、そうであってはいけない、魂は贖われなければならない、陰府から引き上げられなければならないと教えるのです。

 イエス様は、神の国の福音を教えてくださりながら、わたしたちに「陰府」ではなく「父の家」をお教えになりました。そして、「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」とご自身をお示しになりながら、「父の家」のイメージを得るための心得を与えてくださいました。

「父の家」のイメージを知りたければ、イエス様を知りなさい、イエス様の説かれた福音を知りなさい、イエス様のなさったことを一つ一つ知りなさい、と教えているのです。

 10節で、「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。」と記されている通りです。

 このようにイエス様を通して与えられる「父の家」のイメージを持って信仰者を生きることは、「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカ17:21)を実感する生き方あり方へとつながっていくと思います。

 この世には、いろいろな道がありますが、今日の聖書のみことばの学びから、イエス様の「道」、「真理」、「命」に導かれてまいりたいと思います。


(もう一言)

わたしは中高校生ぐらいのころ、LPレコードでエレヴィス・プレスリーのゴールデン・ヒム・アルバム2枚組を毎日のように聴いていたことがありました。プレスリーのロックを聴いたり映画を観たことはなかったので、彼のことについてはよく知りませんでしたが、そのアルバムを気に入って聴いていました。好きなプレスリーのゴスペルに「Just A Closer Walk With Thee」(汝のそばを歩ませてください)とか、「In My Father’s House」(わたしの父の家には)というゴスペルがありますが、いずれも、キリスト者の生き方、信仰を歌っています。「In My Father’s House」には、今日の聖書のみことばそのものである「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしそうでなければ・・・」と歌われてあります。「2歳の頃から僕はゴスペル・ミュージックしか知らなかった。人生のとても大きな一部になって、踊るのと同じ自然なことだったんだ。悩みから逃避したり、僕なりに自分を解放する手段だったね。」「・・・ともかく心が安らぐんだ。僕の心もね。」(引用より)と、かつてプレスリーは語っています。プレスリーにとって、ゴスペルは特別だったのだろうと思います。

 ときどき、「In My Father’s House」のメロディーなどがよく浮かんできます。「Just A Closer Walk With Thee」はジャズの名曲でもあります。沖縄にいたとき、ランチを食べに入ったあるお店でBGMとして流れていました。「イエス様と共に歩む」ことを歌っている曲だと思うと嬉しくなったことを思い出します。

 みなさんと、大きな声で賛美できる日が早く来るといいですね。神様のお守りをお祈りいたします。

日本基督教団 板橋大山教会

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