2025年 9月28日 はぐれた人を探す

聖霊降臨節第17主日  新約聖書 ルカによる福音書15章1~7節


はじめに

ある日、電車の中で見かけた小さな男の子が、笑顔で手を振ってくれました。その姿を見てほほえむご家族の表情が、「たった一人の存在の尊さ」を思わせます。今日の聖書「迷子の羊」のたとえも、同じことを語ります。羊飼いは迷った一匹を見つけ出し、皆と共に喜びます。この物語を通して、「たった一人」を大切にされる神さまの愛を見つめます。

1. 迷う者を見つめる神のまなざし

「はぐれた羊」とは、律法を守れず社会から外された人々を指します。徴税人、病気の人、孤児、夫を亡くした女性――彼らは「罪びと」と呼ばれ、共同体から排除されていました。イエスさまはそうした人々と共に食事をし、「あなたは愛されている」と語りかけられました。神さまのまなざしは、人を評価するのではなく、迷いの中にいる者に優しく向けられます。

2. 見失った羊を探し出す執念

羊飼いは九十九匹を野に残し、一匹を探しに出かけます。常識では考えられない行動ですが、そこにこそ神さまの愛があります。効率よりも、一人を見捨てない愛。神さまは、孤立する人、小さな声しか出せない人を見放さず、どんな荒野にも探しに来られます。私たちの社会にも、「孤独」という迷子の羊がいます。孤独の中にある人に、神さまは今も手を差し伸べてくださいます。

3. 見つけたときの大きな喜び

見つけ出した羊を叱るのではなく、羊飼いは喜んで肩に担いで帰ります。その姿は、神さまが私たちを「新しい家族」として迎える喜びを表しています。喜びはたった一人への愛のうちにあり、天の国の喜びも、たった一人の回復から始まります。愛する人がそばにいる喜び、失われたものが見つかる喜び――神さまの喜びは、そのような小さな再会の中に宿ります。

4. 悔い改めを迎える天の喜び

イエスさまは言われました。「悔い改める一人の罪びとには、九十九人の正しい人よりも大きな喜びがある。」悔い改めとは、神さまに帰ることです。自分の力で帰れない者を、イエスさまが背負い、涙をぬぐい、命の泉へ導いてくださいます。神さまの喜びは、一人が帰ってくることにあります。

まとめ

この物語は、非常識なまでの愛のたとえです。神さまは「効率」ではなく、「たった一人」を探し出し、喜んで担いで帰られます。私たちもまた、しばしば迷い、つまずきますが、神さまはそのたびに探し出し、「新しい家族」として迎えてくださいます。その喜びに支えられて、私たちは今日も歩みます。どうか私たちも、神の愛に生かされ、「迷う人を探し出す群れ」とされますように。

板橋大山教会

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