2024年9月22日 礼拝説教

「人の時間、神の時間」 コヘレトの言葉3章1~8節

 今日は「人の時間、神の時間」というテーマで、「コヘレトの言葉」3章1~8節のお話をします。この聖書箇所は「時の詩」と呼ばれ、「何事にも時があり、天の下の出来事には、すべて定められた時がある」と始まります。これは私たちの人生がさまざまな「時」の連続であり、それぞれの「時」には深い意味があることを教えてくれます。

 人生の様々な「時」が、一組のペアとして取り上げられています。「生まれる時」と「死ぬ時」。これは神の計画の一部であり、人間の力ではどうにもなりません。「植える時」と「植えたものを抜く時」。これは自然界のサイクルや人間の営み表します。さらに「泣く時」と「笑う時」あるいは「嘆く時」と「踊る時」は、人生の喜びと悲しみといった感情の起伏を象徴しています。

 「石を放つ時」と「石を集める時」では、戦争と平和の対比が描かれています。戦時には「石」を投げ、平和の時には建設のために「石」を集めます。「抱擁の時」と「抱擁を遠ざける時」は、人間関係における親密さと距離のバランスの必要性を示しています。これらの「時」のペアの数々は、人生が様々な状況や感情の繰り返しで成り立っていることを教えてくれます。

 私たちは時間の流れに逆らうことはできず、過去をやり直すことも、未来を完全に予測することもできません。「今この時」に集中し、目の前のことに全力を尽くすことが大切です。しかし、人間の心は過去の失敗や未来の不安にとらわれがちであり、それが私たちの行動や思考を妨げることがあります。私自身、心を落ち着かせるためにやっていることがあります。例えば、呼吸法を用いて一瞬でも心を静めることや、朝に短い時間でも神に祈りを捧げることで不安を軽減し、「今日を生きる」力を得ることができます。祈りは、私たちの思いを神の計画と調和させる手段です。「私の思うとおりでなく、神さま、あなたの思いの通りにことが進みますように」とすべてを委ねることで、心の重荷が軽くなります。イエス様も十字架を前にして、「私の願うことではなく、御心にかなうことが行われますように」と祈られました。

 「神の時間」は永遠です。無限というのは、始まりも終わりもありません。このことは人間の時間感覚では理解できないことも多いですが、神は時間の始まりから終わりまでを見通し、すべてを御手の中に収めておられます。高い空から地上を見下ろすオオタカのように、神は私たちには見えない遠くまでを見通す存在です。孫悟空の物語にも、私たちがどれだけ努力しても神の御手の中にあることを忘れてはならないと叱られる場面があります。理解できない試練や困難も神のご計画の一部であり、それを信じて受け入れることが大切です。パウロも「神を愛する者たちには、万事が益となるように共に働く」と述べています。

 神の時間と歩調を合わせるためには過去に感謝し、未来を神に委ね、「今この時」を大切に生きることが求められます。過去の出来事は変えられませんが、そこから学び感謝することで心の癒しを得ることができます。過去の痛みは神に委ね、癒しと成長の道具として使うことができるように祈りましょう。

 未来については不安にとらわれず、神に委ねて信頼することが大切です。イエス様も「明日のことを思い煩うな」と教えられました。心配すればするほど思い通りになるわけではなく、やるべきことをやったら後は神に委ねる姿勢が大切です。

 「今この時」は、過去と未来の交差点です。最も重要な時間です。過去や未来にとらわれず「今この時」を神と共に歩むことが、豊かな人生への鍵となります。先日、97歳の方を訪ねました。その方は、教会の集合写真を毎朝見ていて、突然の訪問者である私を即座に認識しました。これは「今この時」を大切に生き、日常のごく小さな瞬間を感謝しているからにほかなりません。

 「時の詩」が伝えるメッセージは、すべての出来事が神の御心のタイミングで起こるということです。神に未来を委ねることは、神が最善の道を準備してくださると信じることです。過去に感謝し、未来を神に委ね、今を喜びと共に生きることで、私たちは神の永遠の時間の中を安心して歩むことができます。私たちは全員、神の御手の中にあり、安心して希望を失わずに歩んでいくことができるのです。

今日の聖書は、時間の大切さとその背後にある神の計画について考える機会を与えてくれました。過去の痛みや未来への不安にとらわれず、祈りと感謝をもって「今この時」を生きたいものです。神の永遠の時間に信頼し、日々の生活の中で神と歩調を合わせて歩みましょう。

日本基督教団 板橋大山教会

日曜礼拝:  子どものための礼拝 9:30~  大人のための礼拝 10:30~ 173-0013 東京都板橋区氷川町47-3 電話:03-3964-4139