1月24日(日)降誕節第5主日(公現後第3主日)

「福音宣教とイエス様」

マタイによる福音書 4章12~17節

 今日は、「福音宣教とイエス様」と題してマタイ4章12~17節のみことばから学び信仰の糧を与えられたいと思います。

12 イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。13 そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。・・・・15 「ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、/異邦人のガリラヤ、16 暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」17 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。

 わたしたちが沖縄に行って間もない頃、街でウインドウショッピングをしていた時のことです。“どこから来たの”と聞かれたことがありました。東京からと答えましたら、“ああ、日本から来たのか”と言われ驚いたたことがあります。沖縄の人たちには、それだけ日本が遠いところなのだと実感させられたことを思い出します。

 今日の聖書の箇所ガリラヤも、読む人には遠く感じさせられる場所かも知れません。けれでも、エルサレムからナザレまでが105kmほどの距離ですから、それはちょうど東京から宇都宮ぐらいになると思えば身近に感じられるでしょうか。

 イエス様は、カファルナウムにお住みになり、ガリラヤ湖の周辺地域を広範囲に巡られ、神の国の福音を宣教されたのです。

 この地域は、15節にありますように、「ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、/異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」と形容された地域です。エルサレムの人々から蔑んだ眼差しで見下されていた地域です。イエス様は、そのような地域を巡り神の国の福音を宣教されたということに深い意味があると思います。

 ここで、わたしたちをとりまく社会や世界をもう一度しっかりと見つめてみましょう。創造主なる神様の被造物であり、かけがえのない命の存在の一人一人である前に、出自が問われ、実績が問われ、つねに人格を何らかの比較や優劣で問われます。歴史的には栄枯盛衰のなかで成功したか失敗したか、身分が高貴か卑賎か、優秀かどうか、富んでいるか貧しいかということで人物を見てしまいます。英雄主義的、成果主義的、支配主義的に文明や文化をとらえて社会を形成しているのを見ます。そのようなこの世の諸価値観に対して、それとは真逆に福音の宣教を始められたのがイエス様なのだと今日の箇所は教えているように思います。それは、わたしたち一人一人に、創造主なる神様の被造物として愛されていることをもう一度考えさせ、本来的あり方生き方に帰るためだと言ってよいと思います。

 日本でも地名に歴史的ゆかりがあるように、パレスチナでも15節の「ゼブルンの地やナフタリの地」の地名には由来があります。ナフタリは、ヤコブの愛妻ラケルの側女ビルハの2番目の子に由来します。

 「湖沿いの道」にはダン(ラケルの側女ビルハの1番目の子に由来)族がすんだ地であり、「ヨルダン川のかなたの地」にはガド(ヤコブの正妻レアの側女ジルパの最初の子に由来)族が住んだところです。父祖アブラハムの妻サラの召使ハガルが子を産んだ時、母子ともにつらく扱われたことが記されています。加えてこの地域は、歴史的にアッシリアに滅ぼされた地域であり、異民族の雑多な人々が入植させられ混じり合った地です。ですから、正統イスラエル純粋ユダヤ人からは、イスラエルとしての純潔を失い汚された地であると蔑視された地です。そのような地域の各地を巡り、イエス様はそこに住む人々に神の国の福音の宣教を始められたのだと福音書は記しているのです。

 ちょうど、アブラハムの妻サラからつらく扱われ排除された召使ハガルとその子どもが神様に顧みられたように、イエス様も、この地域に住む人々に神の国の福音を宣教されたのです。

 『讃美歌』124番「みくにをもみくらをも」には、「人のつれなさよ」という歌詞があります。その(おりかえし)では「住みたまえ、きみよ、ここに、この胸に」と祈りの賛美を歌詞にしていますが、深い意味をあらわしていると言えるでしょう。

 わたしたちは、聖書のみことばに触れる時、この世にありながら神の国を生きる者として神の国に向き合うようにとイエス様によって導かれると思います。そして、キリスト者として神の国がわたしのことになってくる時、この世がとうてい与え得ない信仰の確かさへと近づいていくと思います。神の国の民の一人でありたいという求道心がその人の信仰を充実させながら、悔い改めと回心が伴って新たな生き方あり方(聖化・ボーンアゲイン)へと導いていくと思います。

 わたしたち一人一人が問われているように、教会も問われていると思います。



『讃美歌』124番「みくにをもみくらをも」

1.みくにをもみくらをも あとにすてまして、

くだりにしイエス君を うくる家あらず。

(おりかえし)

住みたまえ、きみよ、ここに、この胸に。

2.みつかいは声高く み名をほむれども、

かみの子はうまぶねに うまれたまいけり。

3.きつねには穴があり、鳥に巣はあれど、

ひとの子は地のうえに ねむりたまいけり。

4.つながれしつみびとを はなちます君を、

カルバリにくるしめし 人のつれなさよ。

 どうぞ、口ずさんで賛美してみてください。

板橋大山 教会

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